三菱一号館美術館 〒100-0005 東京都千代田区丸の内 2-6-2 |
Manet et le Paris moderne |
開館記念展〈T〉 マネとモダン・パリ |
―変貌するパリの姿とあわせて辿る、待望の回顧展― |
2010年4月に東京・丸の内に開館する三菱一号館美術館の開館記念展として、オルセー美術館の全面的な協力により、同館所蔵品を中核に、国内外の主要美術館・所蔵家の作品で構成された
「マネとモダン・パリ」 展を開催します。 本展は、マネの芸術の全貌を、当時のパリが都市として変貌していく様子と結びつけながら、マネの本邦初公開作品、 《エミール・ゾラ》 や 《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》 など油彩、素描、版画60点余りと、また、同時代の作家たちの油彩、建築素描、彫刻、写真など約60点もあわせて展示し、マネが生きたパリの芸術的背景も紹介します。 そしてちょうどこの頃、ナポレオン3世とオスマン男爵による都市計画を通して、パリの街は新たな近代都市へと劇的な変貌を遂げようとしていました。 開館記念展となる本展覧会では、この 「近代生活の画家」 マネの全貌を捉えると同時に、近代都市と芸術家の関係を考察します。 |
会期: 2010 4/6(火)〜7/25(日) 展覧会は終了しました。 開館時間:10:00〜19:00 (入館は16時30分まで) 休館日:毎週月曜日(10/12、11/23は開館、翌火曜日は休館) 会場:三菱一号館美術館 |
「マネとモダン・パリ」 展 三菱一号館美術館 |
― “近代絵画の創始者”マネの全貌 ― |
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【展覧会の構成】 |
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エドゥアール・マネ(1832-1883)は、後に 「印象派」 となる画家たちだけでなく、後世の芸術家たちに決定的な影響を与えた、近代絵画史上最も重要な画家のひとりです。 本展は、オルセー美術館所蔵の代表的な油彩および国内外の美術館に所蔵されるマネの油彩、素描、版画60点余りを中心に、同時代作家の油彩、建築素描、彫刻、写真などおよそ100点余りの作品で構成されます。日本で、マネの作品をまとまった形で見ることができる貴重な展覧会です |
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第1章 スペイン趣味とレアリスム:1850年代〜60年代 マネが画家として活動を始めた1850年代は、ロマン主義の台頭を経て、新たなレアリスムのバルビゾン派やコロー、クールベらが自己革新を遂げようとしていた時期でした。最もマネが惹かれたのは、ベラスケスをはじめとする17世紀スペインの絵画でした。他方、詩人ボードレールの美学に共感したマネは、変わりゆくパリの街に生きるさまざまな階層の人々にロマン主義的な視線を向けていました。 エドゥアール・マネ 《扇を持つ女(ジャンヌ・デュヴァルの肖像)》 1862年 ブダベスト美術館 © Szépmüvészeti Múzeum. Budapest |
第2章 親密さの中のマネ:家族と友人たち 1867年、ナポレオン3世が威信を賭けた第2回パリ万国博覧会場で、マネは集大成ともなる個展を開きました。1868年ベルト・モリゾと出会いモリゾはやがてマネの弟子になり、1874年には弟のウジェーヌと結婚します。その間、彼女をモデルに魅力的な肖像画を制作しました。1870年普仏戦争後、家族や親しい友人たちとの時間を多く持つことになります。とりわけ1873年に知り合った象徴主義の詩人ステファヌ・マラルメとは生涯の友人となります。 エドゥアール・マネ 《横たわるベルト・モリゾの肖像》 1873年 マルモッタン美術館 © Musée Marmottan, Paris, France / The Bridgeman Art Library |
第3章 マネとパリ生活
1874年「第1回印象派展」が催され、以後も開かれますが、マネは1度も参加しませんでした。その代わり、「サロン」には毎年応募し続けたのです。この章では第三共和制下のパリを舞台に、芸術家たちを取り巻く生活と文化、オペラ座をはじめ劇場やカフェ、競馬場やサーカスといった歓楽生活を享受する社交界の人々、女優や高級娼婦、それを取り巻く市井に生きる人々の姿が、幾重にも重なってマネの絵には登場します。 エドゥアール・マネ 《ラテュイュ親父の店》 1879年 トゥルネ美術館 © Collection Musée des Beaux-Arts de la Ville de Toumai |
エドゥアール・マネ (1832-1883) |
略 年 譜 1832年 1月23日、パリ市中心部に裕福なブルジョワ家庭の3人兄弟の長男として生まれる。 1844年 名門コレージュ・ロランに入学。学問よりも美術に惹かれる。 1849年 画家になることに父母が同意する。 1850年 トマ・クチュールのアトリエに入門。 1853年 フィレンツェ、ヴェネツィアなどイタリア旅行。(オスマン男爵よるパリ大改造始まる) 1856-60年 クチュールのアトリエを去り、ルーヴル美術館で精力的に模写を行う。 1863年 「落選者展」 に 《草上の昼食》 を出品、物議をかもす。 1868年 マネの作品を擁護したゾラへの感謝と賞賛の証として 《エミール・ゾラ》 を描く。 1874年 パリで 「第1回印象派展」。実弟ウジェーヌとベルト・モリゾが結婚。 1881年 レジオン・ドヌール賞を授与される。 1883年 左足切断の後、容態が悪化し4月30日に51歳で死去。 19-20世紀の近代美術の成立を考えるとき、マネの果たした役割は決定的でした。マネに続く画家たちは皆、マネ芸術の成果をさまざまな形で受け止めました。モネやルノワールなど、マネより少し若い印象派世代の画家、セザンヌ、ゴーガンといったポスト印象主義の人々、さらにピカソを筆頭に、20世紀のポップ・アートやヌーヴォー・レアリスム、そしてさらにポスト・モダンの作家たちの多くも、マネが開拓した地表なしでは存在しなかったでしょう。 |
「三菱一号館美術館開館に向けて」 ―本文より抜粋して掲載― 高橋 明也 (三菱一号館美術館 館長) 2010年4月に新しい美術館が開館します。それも丸の内という東京の真ん中に。 丸の内オフィス街誕生から百年余り、1968年(昭和43年)に解体された三菱一号館は、創建当時と同じ約230万個の赤煉瓦を積み上げ、当時の設計図面や保管部材を使用するなどして明治期の姿を忠実に復元、2010年4月6日、本展覧会で三菱一号館美術館として幕を開けます。 …… 三菱一号館美術館の開館は、丸の内や東京、そして日本の美術シーンに何をもたらすのでしょうか。 …… 本来、近代の西洋において成立した美術館 [Museum] という施設は、作品の保存、研究、公開という活動をその原点に据えています。三菱一号館美術館はそうした美術館本来の在り方を基礎としながら、近代美術に焦点をあてた展覧会を積極的に開催していきます。それは、この美術館の掲げる大きなテーマが 「近代都市が生み出した美術」 にあるからです。 今回、三菱一号館美術館の開館記念展として、この作家を選んだことには大きな意味があります。 それはマネこそが近代都市パリの成熟期にあって街を心から愛し、都市生活そのものを滋養として制作した芸術家であり、他方、新しく出発する美術館もまた、あらゆる意味で都市と共に生き、成長していこうとしているからです。本展 「マネとモダン・パリ」 は、西欧の重厚な絵画伝統を新しい時代にふさわしい形に変換させた、この類稀な芸術家の代表作品を編年的に辿る、回顧展の形式をとっています。 肩肘を張らず、ごく日常的な生活のリズムで訪れることができるが、一歩中へ入れば鮮烈な美、新たな価値観との出会いがある美術館、これが私の理想とする都市型美術館のイメージなのですが、三菱一号館美術館がこの理想に限りなく近づき、皆様から親しまれる存在となることを心から願っています。 |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 展覧会サイト:http://mimt.jp/manet/ 美術館サイト:http://mimt.jp 主催:三菱一号館美術館、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション 共同企画:オルセー美術館 特別協力:フランス国立図書館 協力:日本航空、大日本印刷 |